奥会津・金山町本名を流れる只見川の水を満々とたたえる本名ダム。近くを走るJR只見線とともに、山あいの風景の一部となっている。
只見川の中流域にある本名ダムは、戦後復興期に京浜工業地帯再建のための電力を賄うことを目的に東北電力によって造られ、1954年8月に運転を開始した。同社は「日本の再建は東北から、東北の開発は電力から」を合言葉に、エネルギー供給源の建設を最重要課題とし、急流で豊富な水量、落差の大きい只見川にダム施設群を設けた。
ダム施設群の建設には、貿易庁長官を務めた同社初代会長の白洲次郎氏が奔走した。白洲氏は自ら車を運転して開発に携わる社員らを励まして回った。電力需要に対応するため突貫工事で進められた。延べ50万人が投入され、着工から1年10カ月で完成した。
完成から70年以上経過した今も当時の構造が残っており、旧国道252号がダムの上を通る全国でも珍しい形状となっている。同社のダムの中では阿賀野川水系の最上流に位置し、下流のダム操作に影響を及ぼす重要施設として管理されている。
只見川ダム施設群は、ダム建設技術の変遷を現代に伝える貴重な文化遺産として2023年に土木学会の土木遺産に認定された。四季折々に異なる姿を見せる巨大な構造物は、人々の営みをこれからも支え続ける。