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作家生活10年、直木賞作家・小川哲が語る転機と挑戦 “職業作家”を志した理由

2025/10/29 08:40

  • エンタメ総合
デビューから10年。直木賞をはじめ、数々の文学賞を受賞してきた人気作家・小川哲氏。 (C)oricon ME inc.

 直木賞作家の小川哲が、10月22日に最新長篇『火星の女王』(早川書房)を発表した。NHK放送100周年記念「宇宙・未来プロジェクト」の一環として、12月13日から放送される菅田将暉出演・NHK大型ドラマの原作にもなっている本作。地球と火星という二つの星を舞台に、人々の心が交錯する人間ドラマだ。その制作秘話と、作家生活10周年を迎えた今の思いを聞いた。(後編)

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■創作を生業に、学生時代に目指した “職業作家”の道

――大学院にて研究者(大学教授)を目指されていたと聞きましたが、なぜ作家への道に進まれたのでしょうか?

「大学院に進んだのは、研究者になれば、好きなことだけ研究していられると思ったからでした。でも、僕の世代のちょっと上くらいから大学の先生も会議に出たり、予算を引っ張ってきたり、大学の組織運営に携わらなければいけなくなって、やりたくないことをしなくてすむ仕事はないかなと考えて、“職業作家”をめざそうと決めました(笑)」

――やりたくないことをしないで済む仕事に就くことが、目標だったのですね(笑)。

「嫌いな人や苦手な人と関わりたくないというのも大きな理由でした。それが明確に言語化できるようになったのは、高校生や大学生ぐらいの頃ですけど、振り返れば小中学生時代も、嫌いな先生がいて、大人になったらああいう人にガチャガチャ言われなくても済むようになりたいという思いから、社長になりたいと言っていましたね」

――そうして東京大学大学院総合文化研究科博士課程2年次に投稿作『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し、作家デビューされました。それまで小説を書いたことは…?

「ありませんでした。でも、小説を読むことは好きで、まわりの人たちよりも読んでいる自信がありましたし、卒論や修論など論文を書いていたので、文章を書くことへの抵抗はまったくありませんでした」

――文芸ではなくSFを目指されたのはどのような理由からでしょうか。

「純文学とされているような作品も好きでしたが、単純に応募作の数が多く、純文学でデビューした後に作家としてやっていくのは難しいという話もありました。僕は“職業作家”として生活していくことが目標だったので、一番読んでいたSF作品がいいかな、と」

■「1作書くたびに学びがある」読者の声を糧に

――その後、2017年に発表した『ゲームの王国』(早川書房)で日本SF大賞と山本周五郎賞、2023年には『地図と拳』(集英社)で直木賞を受賞され、作家としての地位を確立されました。

「僕は苦労した記憶をすぐに忘れてしまうので、過剰に楽しかった記憶しかないんですけど、2作目を書くまでは小説の書き方がわからなかったので、苦労したような気がします。デビュー作を書くまで本を読む人のサンプルが僕しかいなかったので、デビュー作を読んだ感想を聞いて、“そんなことを考えて読む人がいるんだ”とか、“そういう読み方をするんだ”といった発見があり、それまで自分は小説をすごく狭く捉えていたことに気づきました。だから2作目、3作目と書き進んでいくにしたがい、どんどん自分の中で小説というものを拡張していくというか、こうでなければいけないというこだわりを撤廃して、2作目、3作目にかけて、小説の書き方というものを学んでいった気がします」

――『ゲームの王国』はポル・ポト内戦期の近過去と、半世紀後の近未来の2つの時代をまたぎ、理想の王国をつくろうとする者たちを描いた異色作でした。デビュー作で「既視感がある」と言われたことから、そう言われないためにこのテーマを選んだそうですね。

「“創作物である小説の既視感って何?”と驚きましたが、この感想は非常に良いきっかけになりました。ほかにも、自分としてはわかりやすく書いたことが難しいと言われ、“もうこれ以上簡単にはできないのに、難しいと言われるのは何が違うんだろう”と、当時はいろいろ考えましたね」

――『地図と拳』も日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀に満州の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮という重厚なテーマを描かれました。その後、『君のクイズ』ではクイズを題材にと、作風の幅が広がりました。

「『ゲームの王国』や『地図と拳』のような重い話を好む人もいれば、『君のクイズ』や『君が手にするはずだった黄金について』のような現代の話を好む人もいて、読者の求めるものは皆違うんだなと実感しました。僕自身は違う読者を想定して書いているわけではなく、どの作品も自分の中で仮説を立て、それを小説にしているだけなのに、読み手によって全く別の作家の作品のように読まれることもあります。1作書くたびに学びがあります」

■作家生活10年と“職業作家”としての理想

――作家生活10年を迎え、ターニングポイントとなった作品はありますか?

「“職業作家”という意味では、『ゲームの王国』ですね。出版後、いろいろな出版社から依頼が来るようになり、それがきっかけで大学院を辞める決意をしました」

――“職業作家”としての生活はいかがですか?

「大変楽しいです(笑)。朝決まった時間に起きる必要もなく、休憩も自由にとれます。何より、苦手な人と関わらなくて済むので、人を嫌いにならずに済む。だから人に対して怒りを覚えることもほとんどなく、本当に素晴らしい生活です」

――お話をうかがっていると、他者とできるだけ関わりたくない方なのかと思ってしまいますが、これまで宇多田ヒカルさんや小泉今日子さん、加藤シゲアキさんなど、異分野の方々との対談も多くされています。

「誤解のないように言うと、仕事相手として嫌いな人やあまり知らない人と日常的に業務をする環境にいたくないだけで、人間そのものが嫌いなわけではないんです(笑)。むしろ、何かに一生懸命取り組んでいる人と話すと、新しい気づきを得られるし、自分の考えも整理されます。僕の人生のテーマに“イヤなことをいかにゼロにして自分の人生の幸福度を上げるか”があって、それを実現するために“苦手な人と関わらない”という考え方がある、という感じですね」

――なるほど。では、小説を書くときにテーマを選ぶ際も、その「イヤなことを避ける」考え方が関係しているのでしょうか?

「そうですね。書くテーマやジャンルも、自分が興味のないことや不得手なことは避ける傾向があります。いっぱいありますよ。例えば本格ミステリーは、今すぐ書けと言われてもいいものが書ける気がしません。警察小説も、警察組織について知らないですし、調べたからといって書けるようになるかもわかりません。法廷小説も同じです。弁護士や裁判の知識もないし、知識不足を努力で簡単に埋められそうにない。腰を据えてやれば書けるようになるかもしれませんが、大きなチャレンジが必要です。それから純愛小説。どう書いていいかわからないので、たぶん変なものになると思います。ただ、今は書けないし書きたくないですが、10年後には書きたくなっているかもしれないので、あまり決めつけないようにしています」

――では、最後に今後の目標を教えてください。

「“職業作家”になれたので、次の目標は、締め切りのある仕事をやらなくて済む人間になることです。今の唯一のストレスが締切なので、そこから解放されれば、すごく豊かな毎日が待っていると思います。そのためには、まずめちゃくちゃ売れなければなりません。でもそうなれば、自分が納得するまで原稿に手を入れたり、調べ物をしたりして、すごく密度の高い小説を書けそうです。10年後にはそういう生活をしていたいですね。あとはその時々の年齢やキャリア、実力でできることに挑戦し、なるべく新しいことにも挑戦し、小説家としてのレンジを広げていけたらいいなと思っています」

(取材・文/河上いつ子 撮影/片山よしお)

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