バスケットボールで活躍することともう一つの夢は、聾(ろう)学校(現在の特別支援学校)の教員になることだった。 きっかけは中学2年生の時に出会った理科の長谷川俊夫先生だ。長谷川先生は私と同じく聴覚障害があったが、聞こえなくても子どもたちを楽しませる授業はできるのだと思わせてくれた。先生はすでに退職したが、今もお付き合いさせてもらっている。 高校時代は前述した通り、バスケで各地を飛び回り忙し...
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