新潟県での母子避難を始めて1年がたち、生活費を稼ぐためにパートタイムの仕事を探した。そこで私を雇ってくれたのが、恩師となる西村康さんだ。 西村さんは当時50代で、金属加工業の社長だった。「これ樽川さんのとこ?」。私との面接で履歴書を指さした。私は東京の介護施設を退職後、わずかな期間だが、父の会社で働いていたことがあった。このため職務経歴欄に「アルファ電子」と記入していた。「実は…」と私が樽...
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