中学時代に陸上の3000メートルで全国5位に入り、陸上競技の指導者になりたいと初めて思った。高校では駅伝で活躍し、大学では箱根駅伝を走ると目標を定めた。そして選手としてやれるところまでやったら、高校の体育教師になろうと考えていた。そうすれば人の役に立てると感じたからだ。 しかし、人生とは予定通りにならないものである。会津工高時代はけがや貧血に苦しみ、活躍どころか、練習も満足にできず、ずいぶん悔い...
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